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Standing Next To You – あなたの傍にいる-第1章 カサブランカ     

その子は、今年96歳になる母親と同居していた。

母親は、要介護の認知症。ただ、介護レベルで言えば、まあまあ 軽い方らしく、一人でトイレには行けるし、介助無しで食事を摂る事くらいは出来る。

ただ、そこは認知症・・・やはり、ただの『高齢者との同居』と片付けるわけにはいかない事情がある。介護認定もあるので、当然、長時間 傍を離れるのは無責任な気がして、24時間 つかず離れずの距離を保ちつつも、傍にいなければならない。

しかも困った事にその母親は、所謂【まだらボケ】というヤツで、人前ではエラく気の利いた物言いをするかと思えば、「デイケアなんて、年寄りの行く所なんだから、絶対行かない!」と言ってみたり、かと思えば、「○○ちゃん、この間貸した指輪を返して!」だの「あの洋服がない!○○ちゃん、捕ったでしょ!早く返して!」などと、突拍子もない暴言をぶつけてくる。

そして毎日毎日、何のつもりか ただ廊下を行ったり来たりする奇妙な行動と、同じ言葉だけを口にする、日々まるでビデオ再生しているかのように繰り返す様を見るにつけ、もはや「人間と暮らしている気がしない」と、その子は気が狂いそうになるらしい。

最近で一番ショックだったのは、真夜中にバッグをしょって「今から買い物に行く!」と言ってきかなかった事で、彼女はそれを全力で阻止!玄関の物音に気が付かなかったら、そのまま徘徊するところだった、という。

とにかく、夢と現実と妄想の区別がつかなくなった母親との二人っきりの生活に、『早く、施設に入ってくれないだろうか』とか、『いやいや・・・この苦行(?)も、きっと、私の人生に何かの意味を与えようとしているのだろうから、ここは敢えて、最後まで面倒を見て、自分の魂の格でも上げておくべきか⁈』などと自問自答を繰り返す日々。

憔悴しきっていた、そんな今年の夏。

正に『狂気』とも言える暑さで、それもやっと終盤に差し掛かろうか、という8月の下旬。奇跡は突然訪れた。

その子の母親を、暫くの間なら預かっても良い、という施設が見つかったのだ。

「神様って、ホントにいる~!」

狂喜乱舞でその子は、連絡のあった日からずっと、母親の施設入所日を指折り数えて待った。そしてやっと、その日はやってきた。

最初はグズグズ渋っていた母親だったが、迎えに来てくれた人達の柔らかい物腰や表情に接し、少しずつではあったが、頑なだった母親も、落ち着いた表情になっていった。毎日 怒鳴り散らす娘からの解放にも安堵したのか、又は諦めたのか、何にしても、最後はウィンウィンな関係といった感じで、少しは寂しそうではあったものの、お互い笑顔を交わして別れたらしい。

これで「やっと24時間好きなことができる」「どこにでも行ける」「好きなだけ寝れる~」と、その子は、正にふかふかの雲の絨毯に大の字になった気分で、大満足の一人暮らしをスタートさせた。珍しいかも知れないが、何故かその子には、幼少期から『寂しい』という感覚がない。

きれい好きのその子は、この時とばかり、母親の汚しまくった部屋中の掃除やトイレ掃除や風呂・台所の掃除、それから どう見てもいらないであろうゴミ達の捨て活を敢行していった。戻って来たところで、どうせ そこに何があったかなど、その母親は覚えている筈もないのだから。

ほぼ1ヶ月を要し、大分ウチ中が小綺麗になり、空気も澄んで見えた。

ただその間でも、勿論、彼女は母親の面会に、週2回は欠かさず行った。一人っ子で未婚の彼女にとって、もはや身内と言えばその母親のみ。掛け替えのない絆であることは、言うまでもない。

それから、その子は時々友人にも会い、ショッピングを楽しみ、時間に囚われる事の無い日々、何の心のざわつきもない毎日を過ごしていった。

そんな彼女には、必ず部屋に花を飾る習慣があり、それを欠かすことはなかった。季節を見せてくれる花だったり、その時々の心象風景に合致した花だったり・・・。

そして本人は、どうも「花たちと心が通じ合ってる」と感じるらしく、毎日「おはよう。今日も綺麗に咲いててくれてありがとう」とか「大分、くたびれちゃったね・・・でも、もう少し、一緒にいよう・・・」とか「今まで、一緒にいてくれてありがとう。又、いつか、生まれ変わったらどっかで会おうね」と、その子は朝、花瓶の水を取り替えるたびに話しかける。枯れてしまった花とのお別れには「私が起きるまで、待っててくれたんだね。ありがとう・・・」と言って、花びらを白い紙に包んで処分するのだとか。

そして今朝・・・

真っ白のカサブランカ。それは高貴で清らかな美しさ故に、盛りを過ぎた辺りから花弁の縁に見せる枯れ気味の哀れは、心が折れそうなほどの刹那を感じる。その 正にお別れ、という時・・・

いつものように白い紙を敷いて「私が起きるまで待っててくれたんだね。ありがとう・・・」と、そのカサブランカを手に取った。すると、今朝は不思議なことに、それが突然 母親の顔に見えた。こんな事は初めてだ。

その何とも哀しそうな、嬉しそうな、寂しそうな母親の表情を、今まで見たことがない。

何故だろう、涙が溢れて止まらない・・・。どうしようもなく、止まらない・・・。

「そうだ!こんな時こそ、今までにあったゲキオコ事件とか、血管が切れそうになった日常を思い出して、セイセイしてやろう!そうすれば、幸せな現実が、穏やかな未来が見えて、涙も止まる!」

彼女は自分にそう言い聞かせ、試みた。もしこのまま施設に入り続けてくれたら・・・、もう二度と一緒に暮らさなくてすむ、としたら・・・、それこそ あの気が狂いそうな日常は、もう戻らないんだ!と自分に思い込ませる。

確かに、涙は止まった。でも、何かが心にわだかまる。決して良心の呵責みたいなものではなく、勿論、晴れ晴れとした清々しさでもない。何というか・・・

もう、母親に思う焦燥感や怒り、虚しさを感じる必要が無い、という妙な欠乏感。そんな「無い方が良いに決まっている!」という、ある意味、自分にとっては厄介なだけのマイナスの感情の筈が、それに欠乏感が伴うなんて・・・。

その日は一日中、何の音もない宇宙に放たれたような、今までに感じた事のない空虚がその子に纏わりつき、離れなかったという。